ニューヨークタイムズ(社交ダンス全般)

1866年


1866年02月26日 SOUTHERN EMIGRATION TO BRAZIL

<記事概要>
以下に関連部分を抜粋。
ダンスとも、馬の足並みとも無関係なfox trotという言葉が使われている記事である。
<抜粋>
Rio Janeiro is a second Lisbon in appearance
リオデジャネイロ(Rio Janeiro)は見たところ第二のリスボン市のようである。
・・・・・・・・・・・・・・・・
Slaves wear no shoes and very little clothing, bear all burdens on their heads, and move at a fox trot.
奴隷たちははだしでほとんど衣服をまとっておらず、荷物を全部頭の上に載せ、そしてキツネの足のように歩いていた。

(tama注)
a fox trot と記載されているため、普通名詞であり、at a fox trotは単に「狐の早足のように」と言う副詞句として使われているようである。そろそろ歩くのをat a fox trotと言っていたのかもしれない。
荷物を頭の上に載せて早足で歩くことは難しそうなので、この記事が書かれた1866年ごろでは、まだfox trotは馬の足並みという意味にまで発展はしていなかったのかも知れない
      

1893年


1893年10月15日 PRIZES FOR THE HORSE SHOW

<記事概要>
マディソンスクエアガーデンで行われるホースショウで以下の7つのGait(馬の足並み)の優劣を争う競技会が催された。

   Walk
   Fox Trot
   Trot
   Rack
   Canter
   Running walk
   Slow Pace

(tama注)
すでにこのころにはフォックストロット(Fox Trot)という言葉は馬の足並みのひとつとして存在した。


1903年


1903年09月25日
<記事概要>
マディソンスクエアガーデンで行われるホースショウでGait(馬の足並み)の優劣を争う競技会が催された。

(tama注)
そのひとつにフォックストロットがある。


1907年


1907年06月02日

<記事概要>
ハリー・フォックスが結婚式の案内役を務めた。


1908年


1908年01月06日

<記事概要>
マディソンスクエアガーデンで行われるホースショウでGait(馬の足並み)の優劣を争う競技会が催された。

(tama注)
そのひとつにフォックストロットがある。

1909年



<記事概要>
ヴァーノン・キャッスルがコメディに出演。
<抜粋>
Some of them are clever. Vernon Castle, for instance, does a very amusing disjointed dance in the first scene. He is still more ludicrous shoe store.


<記事概要>
ヴァーノン・キャッスルが「Old Dutch」に出演

1909年11月21日 No Title

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスルが「Old Dutch」に出演

1909年12月12日 THE GENTLE ART OF DANCING

<記事概要>
今シーズンの最新流行はロングボストン(The Long Boston)。昨シーズン流行ったボストン(The Boston)のようにホップするのと異なり、完全に滑る(Glide)するのが違い。


1910年


1910年06月19日 VAUDEVILLE

<記事概要>
  Harry Fox


1911年



<記事概要>
ニューヨークでは新しいダンス、ロングボストンが人気。ロングボストンは数週間前にホワイトハウスでも披露された。
※ ロングボストンの踊り方、ロングボストンのヴァリエーションの紹介あり。
(tama注)
これが、Turkey Trotが初めてNYTに取り上げられた記事である。

1911年05月24日 VERNON CASTLE TO MARRY

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスルが来週の日曜日にIrene Footeと結婚する予定。
ヴァーノン・キャッスルの本名はVernon Castle Blythe、英国バーミンガム大学卒業。
出演している「Hen Peck」が6月3日にいったん終了後、英国に旅行。
8月にブロードウェイ・シアターで再演されるのに合わせて米国に戻ってくる。

1911年05月29日 ACTOR VERNON CASTLE WEDS

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスルが昨日結婚した。
7月後半に米国に帰国予定。

1911年11月04日 TURKEY TROT' AT NEWPORT.; Society Also Dances "The Grizzly" Between Dinner Courses.

<記事概要>
この冬、ターキートロットとグリズリーと呼ばれる新しいダンスを踊るディナーダンスが大流行。


<記事概要>
カフェ・ド・パリやヨーロッパのいたるところで有名な M. Maurice がヨーロッパからアルゼンチン・タンゴを教えに米国に帰国した。


<記事概要>
いまや大きなダンスパーティになると、夜明けまでダンスを踊った後で、夜食だけではなく、朝5時にベーコンエッグの朝食を食べるのも当たり前になってきたなんて!
ターキートロット(Turkey Trot)やグリズリーベア(Grizzly Bear)が踊られている。


1912年



<記事概要>
ターキートロットがはじめてロンドンで演じられ、ザ・タイムズは「反吐を吐きそうな見苦しい踊り」と評した。

1912年04月28日 AT THE VAUDEVILLE THEATRES

<記事概要>
アービン・バーリン(Irving Berlin)が主催する演しものが、ヴィクトリア劇場(Hammerstein's Victria Theatre)で行われる。
そのプログラムの一部は、調教された馬9頭による"Horse Show"。

1912年04月28日 BROOKLYN AMUSEMENTS

<記事概要>
ハリーフォックスがミラーシップシスターズ(Millership Sisters)とオルフェウス劇場(Orpheus Theater)に出演。

1912年05月19日

<記事概要>
マディソンスクエアガーデンで行われるホースショウでGait(馬の足並み)の優劣を争う競技会が催された。

(tama注)
そのひとつにフォックストロットがある。

1912年08月25日

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスルがヨーロッパから帰国した。

1912年?のヨーロッパ?



1913年


1913年01月27日

<記事概要>
ハリー・フォックスが、アスター・シアターで行われた、病院の基金集めのショウに出演


<記事概要>
職業女性のための娯楽に関する委員会で、エアロプレーンワルツ(Aeroplane Waltz)、タングル(Tangle)、ヴェニーズディップ(Viennese Dip)が踊られた。ターキートロットは踊ることを許されなかった。


<記事概要>
10万ドルもかかった舞踏会で、黄金の翼を身につけたダンサーによりホーストロット(Horse Trot )が披露された。そのほか、舞踏会では、ターキートロット、シングルステップ(ワンステップのことか?)、タンゴも踊られた。

1913年06月22日

<記事概要>
ブライトンビーチ・ミュージックホールがオープンし、ハリー・フォックスがそのプログラムにJenne Dollyと出演。

1913年06月26日 JARDIN DE DANSE OPENING

<記事概要>
Jardin de Danseがニューヨーク・シアターの屋上にオープンした。
いままでレストランとカフェがあったが、加えて、ボードビルとキャバレー、そしてその幕間に一般客のためダンスができる。
人気のダンサー、ジョーン・ソーヤー(Joan Sawyer)が出演予定。

(tama注) Jardin de Danseでハリー・フォックスがフォックストロットを披露したという伝説がある。
       Jardin de Danseはフランス語で、英語ではGarden Danceといった意味。
       当時のにぎわいをご覧あれ^^
        The Famous Jardin de Danse.jpg

       この写真は、1914年に出版された THE TANGO and Other Up-To-Date Dances というダンスの教本で
       見つけたものです。

1913年07月06日 VAUDEVILLE

<記事概要>
ハリー・フォックスが、ジェニー・ドリー(Jennie Dolly)とカップルを組んで初めて、ヴィクトリア劇場のショウに出演。

1913年07月06日 JARDIN DE DANSE

<記事概要>
Jardin de Danseにジョーン・ソウヤーが出演。その他Turkey Trotting Hogins も出演。

1913年07月20日

<記事概要>
ジョーン・ソーヤーがJardin de Danseに出演


<記事概要>
マルコーニ汎大西洋無線電信会社によるニュースによるとドイツのベルリンではタンゴが大流行り。
金を自分で稼いだことのない若い女性(tama注 ええとこの娘さんの意味か^^)がたくさんタンゴを習いだした。


<記事概要>
ドイツ皇帝の命により、陸軍と海軍のオフィサーは、制服のままでタンゴ、ワンステップ、およびツーステップを踊ることを正式に禁止した。

1913年12月13日 THEATRICAL NOTES

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスル夫妻が、ティールームとダンスホールを備えたキャッスルハウスをオープンする予定。夫妻はヴィクトリア劇場で1月13日から始まる演しものに常時出演する予定。

1913年12月16日 CASTLE HOUSE IS OPENED

<記事概要>
キャッスルハウスがオープンされた。以下はその記事の和訳。


キャッスルハウスは、リッツ・カールトンホテルの正面に位置しており、毎日午後4時半から6時までダンスを楽しむことができる。
オープンの当日はドアが開く前から、外ではリムジーンの長い列ができた。
お客はきらめく大理石の噴水をみながら玄関ホールを通って、最初のボールルームへと続く広い階段をあがっていく。
ボールルームは数分のうちに混雑してしまったため、オーケストラは次のボールルームへ移動せざるを得なくなってしまったが、そのボールルームは全員を収容して十分なスペースがあった。
両方のボールルームを見渡せるバルコニーでは、お茶やレモネードがふるまわれた。
ボールルームでは、ピンクのシェードの照明の下で、キャッスル夫妻が支援者たちとのお約束のダンスを踊るのに、その午後いっぱい大忙しだった。
小オーケストラは、ラグタイム音楽、タンゴ、ワンステップ、そして多くの人が好むヘジテーション・ワルツを演奏した。
まるで、プライベートのパーティのようだった。

誰もがお互い同士知り合いで、誰もがダンスをし、並んだ椅子にすわっていたり、お茶をすすっていた人間は少数派だった。


キャッスルハウス (キャッスル夫妻の著書 Modern Dancing より)
Castle House


1913年の Locomobile社製リムジン(USA)
1913 Locomobile USA

1913年?の英国



1914年



<記事概要>
多くの公爵夫人などの貴族の女性たち、司教などの聖職者たちがロンドンの劇場に招かれ、エキスパート達によるタンゴの演技を見たあとで、「タンゴが不道徳的で、きわどいダンスか」という質問に答えさせる実験が行われた。
結果は21名がイエス、741名がノーと答えた。そのうち一人は道徳的すぎて退屈で涙が出ちゃったと答えた。


<記事概要>
ヴァーノン・キャッスルが、タンゴなどの新しいダンスが粗野だという批判に対して、そういうことを言う人の多くはそういうダンスを見もせずに、人から聞いたことをそのまま信じている。また正しく踊っていない新しいダンスを見て批判するなら、いままでのダンスだって正しく踊らなければ同じではないか、といったことをニューヨークタイムスに投書したものである。

1914年01月11日 FOR VAUDEVILLE'S PATRONS

<記事概要>
パレス劇場での来週の演し物はキャッスル夫妻が率いる。そのなかでワンステップ、ブラジリアン・マシーシュ、アルゼンチンタンゴなどのダンスが披露される。

1914年01月18日 VAUDEVILLE

<記事概要>
ビクトリア劇場の19周年記念公演の演しもののひとつに、キャッスル夫妻の映画が上映される。

1914年01月19日 Oriental Ball for Hospital

<記事概要>
オリエンタル舞踏会で、ヴァーノン・キャッスルが、ブラジリアン・マシーシュやその他の新しいダンスを披露する予定。
舞踏会ではその他アマチュアのダンサーが何人かダンスを披露する。

1914年01月23日 MRS. FISH'S DINNER DANCE

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスルが、フィッシュ夫人のダンスパーティでイノベーションワルツを披露。
しかし、タンゴについては、フィッシュ夫人が、優雅なダンスでないということで禁止された。

1914年01月25日 FOR VAUDEVILLE'S PATRONS

<記事概要>
今週、ハマーシュタイン劇場の演しものは、コメディが主。
ヴァーノン・キャッスル夫妻は"Those two French Girls"という映画で出演。

1914年02月01日 FOR VAUDEVILLE'S PATRONS

<記事概要>
今週、ハマーシュタイン劇場の演しもののひとつはヴァーノン・キャッスル夫妻の映画。

1914年02月01日 No Title

<記事概要>
ニューヨーク・モーツアルト・ソサエティの第2回目のイブニングコンサートで、キャッスル夫妻がイノベーション(ワルツ?)、ヘジテーション(ワルツ?)、マシーシュを披露。

1914年02月03日 THE WEEK IN THE THEATRES

<記事概要>
今週、ハマーシュタイン劇場の演しもののひとつはヴァーノン・キャッスル夫妻の映画。

1914年02月15日 WILL DANCE FOR CHARITY. Mr. and Mrs. Vernon Castle to appear at Beth-El Sisterhood Ball

<記事概要>
チャリティ舞踏会にヴァーノン・キャッスル夫妻が出演。何を踊ったかは記載なし。

1914年03月08日

<記事概要>
ハリー・フォックスがパレス劇場に、ジェニー・ドリーと出演。

1914年03月08日

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスルが、ウォルドルフ・アストリアホテルのボールルームで夜10時にエキシビションを行った。
一般客向けダンスは真夜中まで行われた。

1914年03月08日

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスル

1914年03月12日

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスルがホース・ショウでバーノン・キャッスル杯を授与。

1914年3月22日 VAUDEVILLE

<記事概要>
ハリー・フォックスとヤンスキー・ドリー(Yansci Dolly)がパレス劇場でダンスと歌を披露。
フォックストロットについては記載なし。

1914年3月25日 WINTER GARDEN JUBILEE

<記事概要>
ジョーン・ソーヤー、ハリー・フォックス&ヤンスキー・ドリーがウィンターガーデンに出演。

1914年3月29日 BENNEFIT FOR HOSPITAL

<記事概要>
ハリー・フォックスとジェニー・ドリーがリリック劇場(Lylic Theater)に出演。

1914年03月27日 Vernon Castle, Autoist, Fined.

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスル、タンゴダンサー・ダンス教師26歳が、自動車を運転していて時速22.5マイル(36.2km)を出し、スピード違反をしたかどで25.5ドルの罰金を言い渡された。

1914年4月12日 IN VAUDEVILLE

<記事概要>
ハリー・フォックスがヤンスキー・ドリーとヴィクトリア劇場に出演。

1914年5月4日 DANCING THEACHERS BAN FREAK STEPS

<記事概要>
前日の5月3日にNew York Society of Teachers of Dancing が発足した。
目的は、今流行のダンスの中のワンステップ(The One Step)、マシーシュ(Maxixe)、ヘジテーションワルツ(Hesitation Waltz)の標準化である。

1914年5月17日 IN A FEW WORDS

<記事概要>
Authors Leagueが、資金獲得のため、メンバーの中の16人の短編などの著作について、まもなくその内容を公開する予定。

(tama注)
この記事の中に、ヴァーノン・キャッスル夫妻の Modern Dancing が紹介されている。

1914年06月02日 'FOLLIES' BEGIN SUMMER CAPERS

<記事概要>
1914年のZiegfeld Folliesが、ニューアムステルダム劇場(New Amsterdam Theatre)で始まったことが報じられている。
またNew Amsterdamのキャスティングが記載されているが、そのなかにはHarry Fox もDolly Sistersも出てきていない。

(tama注)
1914年のZiegfeld Folliesは、Internet Broadway Databaseの記録 によると、1914年6月1日にオープニング、9月5日にクロージング、計112回演じられている。
欧米では、フォックストロットは Harry Fox が作り出したという説が主流であるが、その中でも諸説がある。まず作ったのが1913年と1914年の二つ。場所で言うと、ニューヨーク劇場の屋上のJardin De Danseともうひとつはニューアムステルダム劇場である。
これらは近いうちに記録と照らし合わせて真偽を明らかにしてみたい。

1914年7月14日 TANGO CAUSES DOWNFALL; Youth Stole Jewelry to Make Good Impression at Dance.

<記事概要>
目立ちたがりの若い女性が、マシーシュ(Maxixie tama注 当時人気のあったブラジル生まれのダンス)やタンゴをダンスパーティで踊るために宝石泥棒を犯した

1914年8月16日 Dance for Charity at Pier. The Fox Trot among the steps at Mrs. Hanan's Shore Acres.

<記事概要>
8月15日に行われたチャリティダンスパーティでは、参加者が、フォックストロットやマシーシュ(ブラジル生まれのダンス)の音楽に乗ってダンスをした。フォックストロットは前の晩のカジノ(カジノ劇場か?)の仮装舞踏会で紹介されたものである。

(tama注)
''これが、ダンスとしてのフォックストロットがニューヨークタイムスに載った初めての記事である。
ただし参加者に誰が教えたとかいう記載はない。みようみまねで踊れる程度のステップだったのか?''

1914年9月17日 Dancing Lessons for Suffrage

<記事概要>
ミス エリザベス・フリーマンが講師となって、「女性による政治団体」の本部で行われる。フォックストロット、ワンステップ、ルルファドやその他の新しいダンスが教えられる。

1914年9月23日 Dancing Class for Suffrage

<記事概要>
フォックストロット、ワンステップ、ルルファドやその他の新しいダンスのレッスンが昨夜西45番街の「女性による政治団体」の本部で行われた。このレッスンは本部では毎週火曜日に、ブロンクス支部では木曜日の夜に行われる。

(tama注)
すでに9月の時点でフォックストロットのダンスのレッスンが行われていた。
この事実からするとフォックストロットが踊られ始めたのは半年やそこら以上前ではないだろうか。あるいは容易に踊れるステップだったのか?

1914年09月27日 LAMENTED GIANTS STILL SLIPPING, Break Even with Pirates

<記事概要>
ジャイアンツとパイレーツの野球の試合で、ブラスバンドがフォックストロットを演奏。
フォックストロットのテンポが速すぎてプレーヤー(tama: 演奏者?野球選手?どちら?)が局にあわすことができなかった。

1914年10月4日 Joan Sawyer's Persian Garden

<記事概要>
ジョーン・ソーヤーの指揮の元で、ブロードウェイ50番街のペルシャンガーデンが、新しいシーズンに向けて再オープンする。
ダンスフロアは拡張され、カラーの照明も新しくなった。
ジョーン・ソーヤーは、ソーヤーフォックストロット(Sawyer Fox Trot)とナンピンマシーシュを披露する。

(tama注)
すでに10月の時点でソーヤーは自分の名前をつけたフォックストロットを披露していた。

1914年10月10日 Braves Show A Lot of Pep.

<記事概要>
ブレーブスとアスレチックスの野球の試合の前、ブレーブスの"Rabbit" MranvilleとJosh Devoirが、試合前の練習のとき打順を待っているとき、観客におだてられて、バンドにあわせてフォックストロットを踊った。

1914年11月12日 INDIANS TRY NEW DANCES

<記事概要>
キャッスル夫妻が、レイムダックワルツ、フォックストロット、ターキートロット、タンゴを披露。
(tama注)
これが、キャッスル夫妻がフォックストロットを披露したという最初のニューヨークタイムスの記事

1914年10月15日 BLACKSMITHS IN HORSE SHOW RING

<記事概要>
ホースショーでfox trot について言及あり

1914年10月16日 CHEZ MAURICE IS OPENED

<記事概要>
海外で人気を博し、英国国王と女王の前でもダンスを披露した、トップダンサーのモーリスとフローレンス・ウォルトンが最近帰国し、ウィンターガーデンビルの中の以前Palaice de Danse として知られていた場所に、ボールルームとレストランをオープンした。
彼らはそこでクラシックワルツ、ルルファド、モーリスフォックストロット(Maurice Fox Trot)、ヘジテーション、ワンステップを披露した。

(tama注)
すでに10月の時点でモーリスも自分の名前をつけたフォックストロットを披露していた。

1914年10月26日 Open Their School Gymnasium for a Dancing Class

<記事概要>
学校の体育館で夜8:15から11:00まで、15回10ドルでダンスのレッスンが行われる。
種目はフォックストロット、ルルファド、ブラジリアンポルカ、キャンターワルツまたはレイムダックワルツ。体育館のPhysical Director のMiss Hermine Ehlersが講師を務める。


1914年11月25日 Charity Dance at Sherry's Society Amateurs in Latest Steps for St. Ambrose Mission.

<記事概要>
ニューヨークのハーレムで催されたチャリティダンスパーティで、アマチュアの若者のカップル2組によるフォックストロットのデモが行われた。

1914年11月27日 TABLEAUX DANCE AT THE RITZ

<記事概要>
デビュタントのための舞踏会で、いろいろなダンスがデビュタントにより披露される。そのなかにフォックストロットがある。

1914年11月29日 Dance for Hospital. Benefit for the Washington Heights at the Biltmore Dec. 6.

<記事概要>
ワシントンハイツホスピタルの基金集めのためにビルトモアホテルでダンスパーティーが催される。
そこで、フォックストロット、スル・ファド、ポルカ(また人気復活)のデモが行われ、若い有望な女性が数多く出演する。

1914年12月22日 The Fox Trot Revised

<記事概要>
フィラデルフィアダンス教師協会はフォックストロットを改訂した。それによるとフォックストロットのフィガーは5つだけに限定される。ヘジテーションワルツ、マシーシュ、ワンステップはすでに限定済み。
キャンターワルツ、ハーフアンドハーフ、パブロワガボット、ブラジリアンポルカは検討中。

1914年?の英国?

1915年


1915年01月07日 PARTED BY DANCE CRAZE

<記事概要>
離婚訴訟の場で、「夫がダンスきちがいで、若い女性たちとフォックストロットを踊るためにしょっちゅうニューヨークに行き、自分を顧みない」として、妻が訴えた。

1915年08月29日 SUN BATH PARTIES AT PIER

<記事概要>
日光浴の客達でにぎわうビーチにあるカジノ(ホテル)では、たくさんのランチパーティが見られた。その後ではダンスが行われた。
夜は、カジノでフォックストロットコンテストが行われた。

1915年9月15日 Invent New Ten Dances, Teachers Aim to Regain Business Won Away by Cabarats

<記事概要>
ニューヨークの教師協会が、アマチュア競技会の計画を策定した。このキャンペーンの目的は教師たち自身が習得するよりも早く新しいステップを作り出し、彼らのビジネス上の最大の敵となっているニューヨークのキャバレーに対抗するということを目的としている。

(tama注)
ここでいうキャバレーというのは、ボードビル劇場のことである。


1916年


1916年1月23日 The Castles Are Coming

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスル夫妻がヒッポドローム劇場のコンサートで今夜踊りを披露する予定。
これが、キャッスル氏がドイツ軍前線を飛行機で飛び越え、フランスに向かう前の最後のステージであると報じている。
プログラムには、彼ら自身のヴァージョンの、ワルツ、フォックストロット、ポルカ、マシーシュ、タンゴ、ワンステップが含まれる。
<抜粋>
Mr. and Mrs. Vernon Castles will dance together tonight at the Hippodrome concert, and it is declared that this will positively be the last appearance together of the famous team before Mr. Castle's departure for France to glide in an aeroplane and hesitate over the German trenches. Their program will include their own versions of the waltz, fox trot, polka, maxixe, tango, and one-step.

(tama注)
彼ら自身のヴァージョンのフォックストロットということは、キャッスル夫妻より前に、オリジナルのフォックストロットが存在していたことを示している。


1917年


1917年6月1日 VERNON CASTLE NEAR DEATH

<記事概要>
カナダのトロントで、英国王立飛行機部隊のヴァーノン・キャッスル大尉が(tama注 飛行教官として)乗っていた戦闘機が操縦士の緊張によりコントロールを失い墜落しガソリンタンクが爆発炎上した。操縦士はやけどのため死亡、キャッスルは軽傷を負っただけで脱出に成功した。

1917年11月06日 'MISS 1917" A HIT AT THE CETURY

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスル記事


1918年


1918年02月16日 VERNON CASTLE DIES IN AIRPLANE FALL

<記事概要>
テキサス州で、ヴァーノン・キャッスル大尉は操縦していた飛行機に、友軍の飛行機が衝突するのを避けようとして急上昇したが、エンジンストップし、墜落する途中でほかの飛行機と接触し、地面に激突し、死亡。

1918年02月19日 BURY CAPT. CASTLE TODAY

<記事概要>
先週の金曜日発生したテキサス州フォートワース基地での飛行機の墜落事故により重傷を負い死亡したヴァーノン・キャッスル大尉(30歳)の葬儀が今朝とり行われる。葬儀には、英国王立飛行機部隊のカナダ人および英国人の部隊員、米国航空部隊の代表者が参列する。

1918年04月20日 DOG HELPS SELL BONDS

<記事概要>
ヴァーノン・キャッスル大尉のお気に入りの警察犬だったRexは、昨日ビルトモアホテルで行われた動物のための Bide-a-WEE Home の基金集めのチャリティマチネーの唯一の動物演技者だった。

1919年


1919年05月04日 IRENE CASTLE, BRIDE OF CAPTAIN TREMAN

<記事概要>
ダンサーかつ飛行士だったヴァーノン・キャッスル未亡人のアイリーン・キャッスルが、退官した元米国陸軍大尉と昨日結婚した。

  • 最終更新:2010-02-07 06:17:14

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